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韓競辰導師拳学論文                                    


根本法と具体法

        「根本法」と「具体法」
                      韓競辰 著

 物事は、その事象を形成する要素によってそれぞれの違いがある。人間もまたその時々の状況、条件によって物事に対しての認識も行動も同じではなくなる。武術の形成と発展を研究してみると、それぞれの違いも現れてくる。
 
 その違いによって、我々は武術をそれぞれの「学派」、「流派」或いは「体系」として分けている。どの流派が優れていて、どの流派が劣っているかと判断しようとすれば、恐らくそれは非常に難しいことになるだろう。なぜならば、どの流派にもそれなりの道理があるからである。十年、百年、千年の時を経て、それぞれのシステム或いは合理性が形成されているわけである。どの流派が正しいかは本当にはっきり言うことはできない。

 
 
それでも、人は武術を修練しようとしたときにはやはりまず「流派」を選んで、それから修練を開始することが多い。それは主に「性格・体質」及び「主観的な認識」そしてその流派と出会う「機会」によって判断し選ぶのである。しかし武術の学習者はそのような要素によって流派を選んでしまうと、狭い理解、或いは一面的な理解に陥ってしまう可能性が高いものである。その理由は、我々が理解している「流派」、「体系」というものには実際には「大道理」と「小道理」が同時に存在しているからである。私は「大道理」を「根本法」といい、「小道理」を「具体法」という。
 
 「根本法」とは、どの流派でも守らなければならない法則である。例えば、武術では「速いほうが勝つこと」、「長いほうが短いほうを抑えること」などである。また、現代スポーツの中で強調されている「スピード」、「感覚」、「瞬発力」など、これらの概念はすべて「根本法」の範囲に属する。「具体法」とは、特定の目的、特定の状況、特定の人間に対しての特別な法則である。武術を修練するとき、同じ動作をしてもそれぞれの体質により練習の姿勢はそれぞれである。このようなことは「具体法」に属し、普遍性を持ってはいない。
 
 この道理を理解すれば、流派についての争論はもう必要がないだろう。「根本法」は武術を修練する基本であり、入門の基本として学習しなくてはならない。「具体法」は修練する人それぞれの結果として現れるものである。現実の武術教育の中で常に「具体法」を「根本法」として学生に教える傾向がだいぶ強くなっている。これは武術の真意が失われてしまった根本的な原因だろう。

 
中国の武術雑誌『武魂』(1997年109期)に掲載されたものです

時間+汗=功夫?

           時間+汗=功夫?
                       韓競辰著


 長い間、多くの武術を学ぶ人々は、「練習時間と練習回数」を武術のレベルの基準とし、そしてもっと時間をかければ、自分の武術の技術はさらに熟練し、上達すると考えているようだ。そのような考えから「時間+汗=功夫」という一種の常識が生まれた。ここでいういわゆる常識というものは、現代的概念で表現すると「普及→分化→自動化」の過程に他ならなく、これは人類がある物事を認識するまでに経験する過程である。言い換えれば、ある目的に対しての理解が「よく分からない」、「よく分かった」、「ベテランになった」という過程である。実践から見ると、この「常識」は科学性を持っているようではある。しかし上述の常識によって武術を練習すれば必ず上達できるのだろうか。その答えは、「必ずしも・・・」。
 
 世の中にはそのような希望を持っている人は少なくないであろう。一つの目標を選んでから一生をかけて頑張ろうとする人もいる。けれども本当にその目標を達成できる人はそんなに多くは無いかもしれない。遠回りをしたが、武術の話に戻ると、多くの武術を学ぶ人々は、上述の「常識」によって寒い冬でも、厳しい夏場でも毎日一つ一つの動作を繰り返して練習し、考えずに出来るほどまでやっているが、実際の応用となると練習した動作を出すことが出来ない。あるいは予想した効果が全くでないということが多い。
 
 それはなぜだろうか。この「常識」が間違っていたのだろうか。そうではない、この「常識」そのものは間違ってはいない。しかしこの「常識」を武術練習の基準とすることは間違いだったのである。「常識」自体は一般論にほかならなく、人が具体的にどれだけ理解できるようになるかということを保障するようなものではない。極端に言うと、間違った練習を繰り返せば、間違った武術の達人になってしまうだろうということだ。この道理が分かれば、武術の練習をする際に上述の「常識」への考え方に気をつけなければならないことが分かるだろう。種は石の中に蒔くか土の中に蒔くかによって結果は全く違ってくるだろう。私は素晴らしい目標よりもまずは先に合理的な練習形式を選ぶことが一番重要だと考えている。
 
 最後に、武術に希望を持っている友人たちに一言申し上げたい。それは「慎重に」ということである。

 

中国の武術雑誌『武魂』(1997年108期)に掲載されたものです



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